Choose life.

都内在住、Web制作会社にWebディレクターとして勤務。ロックンロールが好きです。

年収が増えれば人は幸せになれるのか

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このご時世、昇給しにくかったり、結婚相手に求めるもの、求められるものには年収と言う言葉がついてまわったり。割りと年収ベースで物事が解決したり、それ中心で話が進むことも多いのがちょっと気になる。

自分の年収についても少し整理してみた。

年収の推移

地元で初めて就職しWebデザイナーとして従事した。3年ほど勤務したと思う。
確か25歳時点で月給が16万円、手取りは13万円くらい。年収は200万弱だった。

 

その後地元から転勤で上京し、転職して7年ほど今の会社に勤めている。

 

現在の会社にはWebディレクターとして中途入社で入社したが入社時点で月給25万円、年収300万円だった。今の会社は年俸制なのでボーナスは基本的には出ないが、期末の状況しだいでは賞与として社員に還元されはする。とはいっても月給1〜1.5ヶ月分の還元にすぎない。

 

そして現状の年収は700万弱程度。
中途入社の平社員から、今はある程度の役職として会社の経営にも若干関わり、職務執行上の責任者となった。社内のヒエラルキー的には社長の下に幹部にあたる人間がいて、その一人だ。ちなみに我が社は20名程度のいわゆる中小零細企業

 

つまりサラリーマンとして10年程度働いて、初任給の時点からは3倍程度、現在の会社に入社してからは2倍程度サラリーが増えたことにはなる。

 

どんな年収でも届かないものはある

前職の頃はとにかく金が無かったので満足に買い物もできなかった。実家だったので住む場所と食事は確保されていたが、前述のとおり手取り13万円程度で実家に3万入れていたので、残りの金でやりくりする必要がある。

 

洋服や趣味のギターやガジェット、車など欲しくてたまらないものがとてもたくさんあった。その頃は物欲がとにかくあったと思う。実家に支払っていた分から残った10万程度を小遣いとしてやりくりしていた。

 

手取り13万、そのうち小遣いが10万あれば充分だとは今でも思うが、それはあくまで実家という特権を使ってるからである。ひとたび一人暮らしなんてしようものなら貯蓄の余裕は瞬時に無くなりかなり切り詰めた生活を強いられるのが手取り13万の感覚だろう。その頃は収入面においては、なんて自分は惨めでしょうーもない存在なんだろうとよく思っていた。

 

今現在は都内に一人暮らしで手取りは40万を超える額にはなった。都内は家賃は高い(今は世田谷で11万強)が近くに安めの食品スーパーもあり、出来る範囲での節約をしつつも、食い物や外食などには割りと自由な金額を割けて、そこそこ満足な暮らしは出来る。

 

物欲は年齢とともに減少しているようにも思えるが、あーロレックス欲しい、BMW乗りたいとかいう分かりやすい成金感情が無いわけではない。欲しいんだからしょうがないよね。ただ現状の年収で都心で車を維持できるかというとかなり厳しいものはある。

 

結局欲しいものはいつでも欲しいし、そしてそれはいつもちょっと届かないくらいの贅沢に設定されていることが多い。

 

年収が低いよりも高い方が幸福なのか

年収200弱〜700万弱というレンジでサラリーマン生活を続けている。年収が低い時は不幸だったのかと考えてみるが、今は決してそうでは無い気がする。

 

会社の経営に近い部分に身を置くことで、何故年収が低いのか、年収を上げるためにはどうしたらいいのか、がわりとクリアに見えてきているからだと思う。

 

年収が3倍になれば3倍程度の責任を終えば良いのか、恐らくそれは違う。年収が増えた分、気苦労は指数関数的に増加しているのだ。プレイヤーからマネージャーへ、そしてプレイングマネージャーとしての動き。年収200万弱の時と求められていることが全く違うなかでより大きな実績を求められる。

 

そもそも自分の労働力を給与という金額的価値に置き換えた場合に、それ相応のパフォーマンスが発揮できてるのか?過去の年収が低いことを嘆いていた自分には、「おまえのパフォーマンスはその程度だよ」と言いたい。

 

「今現在」の自分から見た「過去」の自分へ評価は非常に納得のいくものだけど、一般論としては理解されるのは難しいだろうな。そしてそれは今だから言える言葉なんだろう。

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